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流木の話 19
■ 流木の魅力 = 「アート」&「エコロジー」&「ロマン」 = ■
あまり一般的ではない流木ことについていろいろやっていると、「流木ってどんなところがいいんですか。」というような質問をよく受けます。その時の私の答はと言うと「自然が創り出した造型や感触が好きなんですよ。」と言うのが通例でした。でも何か正確な答になっていないようで、流木の魅力について自問自答しているうちに、三つのキーワードが浮かんできました。
「アート」「エコロジー」「ロマン」の三つです。今回で「流木の話」は19話になりますが、よく考えてみると、それぞれの話がこの三つのキーワードのどれかに沿った内容であることに気がつきます。今回のこの三つのキーワードを基に流木の魅力に迫ってみます。
■「アート」
私自身はあまりアートの素養はありませんが、流木を通してアート作品やアーティストの方などとの関わりが多くなってくる中で、「アート」についていろいろ考えるようになってきました。最近そのアートの魔力(?)にのめり込んでいくような、そんな不思議な魅力を感じています。
ところで「アート」って何なんでしょうね。「人間が五感で感じとって心地よいもの」というのはあまりにも大雑把ですよね。「心地よくて何かビビッとくるもの?」、このビビッとくるものの正体は言葉では説明できないものなんでしょうね。それに、人によってアートに対する感性も異なり、ビビッとくる対象もまちまちなのでしょう。
立松和平氏がアートについて次のようなことを書いてます。
『アートの出発点は自然の模倣だと私は思っている。自然の力と何らかの方法で結びついた芸術家が、意識的であろうと無意識的であろうと、人の世界に自然を再現させるのだ。』(荒川じんぺい氏の作品に寄せた文章より)
「自然の模倣が出発点となって、人の世界に自然を再現させることがアートである。」という発想は私の中にスーと入ってきました。
そこで、流木の話になるわけですが、「流木」は正に自然が創り出したアート作品そのものだと感じることがあります。流木は、内的要因である木の種類、部分によって、そして外的要因である水、大気、時、環境の影響を受けながら、唯一無二の造型に生まれ変わるのです。
造型の妙ばかりでなく、色合い、感触、そして心を落ち着かせる全体的な風合など、私はビビッとくるものを感じるのです。
流木アートは他のアートと違って、その大部分は自然の創造力によります。大自然が創り上げた造型を見い出す作業、唯一無二の流木素材を組み合わせる作業、そして作家の感性で少し加工を加えることで、新たなアート作品が生まれるのです。
余談ですが、時たま、「Sold Outになった流木素材や作品と同じものはありますか。」との問合せを受けることがあります。自然が作家の作品(?)には、二つとして同じものはないのです。
■「エコロジー」
最近エコロジー(エコ)という言葉を良く耳にしますが、本当はどういう意味などでしょうか。辞典で調べてみると、「生態学、つまり生物とその環境との関係についての学問のこと」になります。最近では「生物(特に人間)に対する自然環境の保全を図ること」という意味合いで使うことが多いようです。
私などはこの自然環境と生物(人間を含めた)の共存は21世紀の重要なテーマではないかと思っています。19世紀の産業革命による人工物の大量生産に端を発した経済至上主義が、地球の循環系に大きな影響を与えている現状を見ると、地球の将来に不安を感じてしまします。
またまた余談ですが、日本の産業革命が起こる以前の江戸時代の人口は3000万人程度で平安時代頃からその数は変わっていなかったそうです。産業革命が起こった明治時代から、たかが100年ほどで人口が1億人も人口が増えたのは異常としか思えません。
それまでの第1次産業中心の半自給自足的な生活が自然環境との上手な関係を維持できた理由だったのでしょうが、化石燃料を大量に使い、また今まで地球上に存在しなかったものを大量に作り出したその結果・・・・。
でも、江戸時代以前の半自給自足的な生活に戻すことは不可能ですよね。
話を戻します。
「森を保全すること」「川や海の水をきれいに保つこと」が、生物と環境の永続的な共存の前提条件になるような気がします。森の木を切ることが即環境破壊につながるなどと短絡的なことを言うつもりはありませんが、自然の大きな循環系を狂わすような人間の身勝手な行為は厳に慎まなければならないと思っています。
流木はその点、環境を害しない素材と言えます。生きている木を伐採するわけでもなく、ゴミ同然に放置されている流木に再び命を吹き込む作業をするわけで、この仕事に携わる積極的な要因ともなっています。
ただ、流木がゴミだと言うのは人間の側の勝手な発想だと思えるのです。流木がダムに溜まって水質を悪化させたり、機材を傷めためたりするというのは、人間が自分の都合でダムを作るからです。海岸に打ち上げられた流木が海岸の景観を損ねると言うのも人間の側の論理です。さらに、流木に再び命を吹き込むというのも、人間の思い上がりかも知れません。
森が流木を供給し続けているというのは、地球の生態系の循環の一つとして有史以来続けられてきたことなのです。
■「ロマン」
樹木は通常、根を生やした場所で一生を終え、倒木となって子孫のための肥料として朽ち果てます。しかし、朽ちることを免れた流木は川を下り、大海に達し、海流に乗って遥かな旅に出ます。流木にロマンを感じるのは、流木が水の流れに身を任せながら彷徨う過程に、その神秘性を見い出すからでしょうか。
あるいは、「流木」という言葉自身がもっている響きや雰囲気によるのかも知れません。
事実、私が流木に関わり始めたきっかけも、この言葉にひかれてというのが大きな理由だったようです。
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流れ寄る者たちへ
一度生命をまっとうした流木は
自然のゆったりとした営みの中で
人知を超えた造型物に生まれかわる
その素朴な木肌と凛とした表情は
太古の悠久の時の流れを懐古させる
海辺にひっそり佇んでいる者たちに
生命の息吹を甦らせることができたら・・・ |
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私自身、流木に対する思い入れが強いのか、どうしても流木を美化してしまいがちです。流木の現実も踏まえた上で、自分のできる範囲で流木をもっと身近なものとして、生活に活用できるような手助けができればと考えています。
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